創作系ぽいぽい場

だいたいそんなかんじ

雨の中、隣人と舞う

 ぞくり、と。
 首元に冷やりとしたナイフを突きつけられるような悪寒を覚え、フェリシアは反射的に小さな身を反らす。直後一瞬前まで首があった位置を、細身の刃が白磁の軌跡を残し刈り取っていった。逃げ遅れた蒼色の髪束が宙を舞う。それを気にする余裕もなく彼は勢いのまま跳ねることで距離を取った。ドレスの裾を引き摺りながら地を削り、姿勢を制御しつつ杖を握り直す。
 神速の細剣の持ち主は感情の籠らぬ瞳でフェリシアを見詰めていた。俄に降り始めた雨を乗せる風が、剣速に遅れたように繁吹く。
 唐突に襲撃者と化した隣人の、その無機質な瞳に意志の光などなく。どうしたの、という一言を発する必要すら彼には感じ取れなかった。
「癒すんじゃダメだ」
 呟き、握り締めた杖を投げ捨てる。そして徐に懐から漆黒の石を取り出した。暗黒の力が込められたそれに祈りを宿すと、藍色のシックなドレスは淡いピンクのコートに換装され、その右手には闇色を湛える大剣が握られていた。
「守らなきゃ」
 暗い赤のオーラが迸り、呪うが如く雨に濡れた身を包み込む。それに呼応するように血色の左目が輝きを増した。
 それを見たミコッテの女性は何を思ったのだろうか、剣先を正面に向ける。再び背筋を這い登る悪寒に、無意識に手を跳ね上げ剣の腹を盾のように構える。瞬間、猛獣の突進のそれより重い衝撃が彼の小さな手を襲った。
「──シッ!」
「ッ!?」
 頑強な鋼と鋼がぶつかる甲高い重い音が雨音を掻き消すように響いた。降り頻る雨粒が衝撃に耐えられなかったように円状に弾け飛ぶ。それは当然彼等自身をも叩き、色とりどりの髪や服が激しくはためいた。
 隣人は衝撃を物ともせず突き出した剣先を素早く引き戻し、彼の肩口から袈裟斬りにする構えを取る。それは雨粒が再び落下を始めるより早く、フェリシアは反射で防いだが故にほんの僅かに浮いた剣を制御出来ずにいた。
 結果は歴然。
 防御姿勢を取る間もなく、彼は高速で迫り来る死を辛うじて目で追い諦めたように目を伏せると──口角を釣り上げた。
「闇よッ!」
 一声に叫ぶと、体に纏う闇を一層強くし、武器を持たぬ左手で以て白銀の煌めきを掴み取る。
 刃が肉を切り裂き、決して少なくない量の血が吹き上がる。しかし骨を断つことなく剣先の動きは止まり、それが引き抜かれる前にフェリシアは顔を顰めながら力強く握り締めた。先と同様、いやそれ以上の鮮血が剣を染める。
 そこまでしても、レイピアの細い刃を長く拘束することは出来ないだろう。だが、一瞬あればそれで彼には充分だった。
 小さな歯を限界まで食い縛り、思い切り拳を手前に引く。握りを離していなかった彼女はバランスを崩し倒れかけ──直後、その細い腹部に大剣の柄が突き刺さった。
 肺の空気を出し切り前のめりに倒れていく隣人を片手で支え、彼は安堵したようにふぅと息を吐く。
「いったいなんだったんだろう……?」
 とりあえず怪我を治してあげなきゃね、と独り言ちると、自ら放り投げた杖の存在を思い出す。あたふたと雨の中それを探しつつ、彼女を治癒した後街に戻ったのは夜も深い頃で。ひどく心配した仲間からこっぴどく怒られたフェリシアなのであった。